長南瑞生の部屋

アリストテレス『ニコマコス倫理学』

西洋哲学の最高権威の一人がアリストテレスです。
西洋の思想に大きな影響を与えたアリストテレスの『ニコマコス倫理学』の内容をまとめてみましょう。

この本におけるアリストテレスの主張は、
「幸福とは、卓越性に即しての活動である」
ということです。

幸福とは

幸福というのは、万人の求める究極の目的です。
他に従属せずに、それ自体で満足できるものとして、多くの人が言っているので、アリストテレスもそれを認めています。

卓越性とは

では、卓越性とは何かというと、2つあります。
知性的卓越性と、倫理的卓越性です。

知性的卓越性とは、魂のロゴスのある部分には、認識的部分と勘考的部分があります。
認識的部分の卓越性は、智慧であり、イコール直知+学です。
勘考的部分の卓越性は、知慮であり、技術です。

倫理的卓越性とは、魂の無ロゴス的な欲求的部分にある倫理的性状の最善の状態のことです。
倫理的性状は、ロゴスを分有し、習慣付けによって、倫理的卓越性となります。

行為とは

行為とは何かというと、ロゴス的な欲求である願望によって、目的を定めます。
目的には、制作物の場合もあれば、立派な行為のときもあります。
その目的を果たす手段は、欲求と目的的ことわりによって選択し、行為します。
それが倫理的卓越性と、知性的卓越性にしたがって選択された手段を実践が、卓越性に即した活動です。

快楽について

倫理的卓越性は快楽にかかわるものです。
その求める快楽には、うるわしいものと醜悪なものがあります。
醜悪な快楽を求めると、非難を受け、間違いを起こします。
うるわしい快楽を求めると、賞賛されます。

醜悪な快楽は、肉体的な快楽です。それよりもいいのは、お金や名誉の快楽です。
ただしこれらは欲しがり過ぎると、醜悪になります。
一番うるわしいのは、知性的な快楽です。
総じていうときは、倫理的卓越性の高い人が求める快楽がうるわしい快楽、倫理的性状の低い人が求めるのが醜悪な快楽です。

友・愛について

友に求めるべきは、有用でも快楽でもなく、倫理的性状の類似性です。
それが一番長続きします。
友にすべきことは、愛してもらうことではなく、愛することであり、施善です。
幸福を与えあうので、関係は壊れにくくなります。
至福な人にも、友は必要で、談論と思考を共にして生きる相手です。

究極の幸福とは

幸福にも色々ありますが、人間の究極の卓越性である知性に即した活動となります。
その究極の幸福は、智慧に即した活動である、観照的活動です。

アリストテレスの思想と仏教の3つの違い

このアリストテレスの思想と、同じように、2千年以上前に東洋で説かれた仏教ではどんな違いがあるでしょうか。
目立った違いを3つ挙げてみましょう。
まず1つ目に、アリストテレスは、動物的な欲求は悪いものとしていますが、知識欲をはじめとして、財欲や名誉欲もうるわしいものとしています。
ところが仏教では、それらの欲というものは、苦しみを生み出す原因であると教えられています。

2つ目に、アリストテレスは、どうすれば少しでもいい生き方ができるかを考えています。
そのため、他人から賞賛を受けることはうるわしく、非難を受けることは醜悪です。
仏教では、何のために生まれて来たのかという生きる目的を解明しています。
人間は迷えるものなので、基準は人間がどう思うかではなく、真理が基準です。

最後に最も根本的な違いは、アリストテレスは、幸福を活動としており、最大限持続的なものを考えています。
しかしそこは、疲労や慣れ、老化によって続かないという問題点は妥協しています。
そこまでの解決を見いだせなかったということです。

ところが仏教では、幸福とは状態であり、何があっても崩れない絶対の幸福を教えられています。